た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

障害を抱きしめて

障害を抱きしめて

障害を抱きしめて

一応出版社の記事:障害を抱きしめて | 教文館キリスト教書部
wikipedia:ホームレスって障害者の占める割合が大きいんだってね。詳しくはホームレス障害者: 彼らを路上に追いやるもの読んで?
wikipedia:キーパーソン

障害や病気に対する偏見・差別・排除は、これだけ文明の進展した今日でも少なくなることはない。むしろ増幅されているように見える。否、今日のような強い者が生き残る競争社会を志向する時代の方が、より強固なものになっているのではないだろうか。

著者の:鈴木文治*1さんは牧師さんだから、境界教会に対する言も興味深かった。

日本の教会(の多く)は、排除する教会である。

wikipedia:反響言語

この人と一緒に生きているという思いがあれば、病気は受け入れられる

WHO の定義が書いてあるから、ここにリンク貼っとこ:wikipedia:障害者 もっとも、教育と福祉では意味が違ったりするらしいんだけど。だから、

障害の捉え方は人それぞれ

wikipedia:精神障害の診断と統計マニュアル第5版からは、wikipedia:アスペルガー症候群という名前は消えたんだってね。
wikipedia:障害にも、医学モデルと社会モデルがあるんだそうで:社会モデル・医学モデルとは?

社会に合わせて障害者が歩み寄るのであれば、それは共生ではなく、同化となる。

こんんあのもあったそうだ:III 主要国における特別な教育的ニーズを有する子どもの指導についてウォーノック報告)

従来の医学的診断に基づく障害児像から、その子なりのニーズのある子どもという見方へと変わった

これは、「医師が人間を病人という枠で捉える見方から、病気のある一人の人間として見ることへの転換」にたとえることができるそうだ。
うーん。wikipedia:障害者権利条約は正式名が「障害者の差別撤廃と社会参加を目的とする人権条約」との記述があったけど、ググってもヒットせずorz

こまけぇことはいいんだよ!!とは編集

今日的見解では、

障害と健常との間には明確な境界線を引けない

だそうだ。
本書によると、wikipedia:特別支援教育は失敗だそうだ。ここだけ取り出すのもどーかとは思うが。ま、でも、呼び方変えてハイお終い、ってーのは良くないね*2

発達障害は人間の傾向性の一つ

なので、「発達凸凹症候群」とか「発達アンバランス症候群」などという学者もいるそうだ。

社会で受け入れられない人を受け止めるためのものであったはずが、実は社会から弾き出すだめにつくられたものであった

本書では、今日の障害についての考え方は

その人が生きられやすい環境設定が、図られていない状態にあること。すなわち、ある人が社会で生きていく上で、社会の側に十分な準備ができていないこと

だそうだ。

教育は祈りなのだ

例えば閉じ込め症候群とか、

コミュニケーションがとれないとしたら、それは障害者の問題ではなく、コミュニケーション手段を見つけられない私たちの側の問題である。

日本でもヨーロッパでも、障害者の教育は盲・聾唖が先行したんだって。知的は後回し。いわんや痴的をや?
wikipedia:福澤諭吉の時代は、wikipedia:障害者を廃人と呼んでいたそうだ。オラ(今でも、自称)狂人orz
こんなのもあったそうだね:wikipedia:T4作戦

wikipedia:教会法において精神薄弱者という場合、(中略)理性の働いていないすべての人を指す

信仰とは信じる仲間と共に生きること

wikipedia:フスト・ゴンサレス曰く、

wikipedia:十字軍のもたらしたものは、イスラム教とキリスト教との相互不信と敵意

だそうだ。どっちにも共通の聖典wikipedia:旧約聖書)があるのにね。
あとこんなのもあるそうだ:「神の像」論争: 新しき中世
という訳で、なかなか面白いんだが、明日が貸出期限orz なので半分ほど読んだところで読みかけ放置プレイorz

*1:wikipedia:鈴木文治とは別人っぽい。

*2:最近、そういう例が多いと思うんだよね。