た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

世界は「関係」でできている

 図書館で見かけて。これ:時間は存在しない - た-くんの狂人日記読んだ記憶があったんでね。でも、他にもすごい物理学講義 - た-くんの狂人日記とか世の中がからりと変わって見える物理の本、など - た-くんの狂人日記とか読んでたのか…

 出版者の記事:世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論 | NHK出版

 原題の島はこれか:wikipedia:ヘルゴラント島 若き[wikipedia:
ヴェルナー・ハイゼンベルク]が訪れて思索を巡らせたんだとか:物理数学赤点のためのハイゼンベルク小史|第1話 ヘルゴラント島|NOVEL DAYS こんな記事も:日本では科学を論じないしきたりがある | 日経クロステック(xTECH)(本書中で国際会議が開かれた)wikipedia:香港にもwikipedia:ラマ島なんてあるそうだが。また原書には、「量子革命を理解する」との副題がついているとか。

(わたしにいわせれば)人類は未だその考え(量子力学)を消化しきれていない

 wikipedia:エルヴィン・シュレーディンガーって、プレイボーイだったの?:歴史で学ぶ量子力学【改訂版・3】「私の波動方程式がこんな風に使われるのなら、論文などにしなければよかった」 - ナゾロジー 妻のアニー曰く

競走馬と暮らすよりカナリアと暮らすほうが楽なのでしょうが、私は競走馬を好みます

理解ある奥さん?でも彼が波動力学を考案してくれたおかげで、ある物理学者はほっと胸をなでおろしたそうだ*1。「これでもう奇妙な行列の数学を学ばなくて済む」

 wikipedia:神はサイコロを振らないの「神」は「自然」と同義語、と考えて良いらしい(当時は自然≒神だったから)。

 wikipedia:ディラック定数はイタリアではアッカ・タリアータ(切られたエイチ)というそうなんだが、ググってもヒットせんから判断保留…

 著者*2が専攻を物理にしたのは、科目登録の時の行列が一番短かったからだそうだが、そういう運も重要な要素だと思う今日この頃、ウン。

 シュレーディンガーの猫の話*3は、毒ガスは残酷だ、ということで、睡眠ガスを使ってた。猫じゃなくて犬だったら、aohi君なら間違いなく毒ガス使うだろうな。

 ヒッピーの話をしてたから、ググってみたらこんな記事がヒットした:元ヒッピーが書いた物理学書が"100万部突破のベストセラー"に「物理学とヒッピーカルチャーは変わらない」 | HEAPS

 [wikipedia:デビッド・ボーム]ってwikipedia:赤狩りの餌食になったんだ:「世界一ふしぎな実験」を腹落ちさせる2つの方法(竹内 薫) | ブルーバックス | 講談社(3/4)

 wikipedia:波動関数の収縮(自発的…)

 wikipedia:クロード・レヴィ=ストロースの思想って、要は

文化を研究することにより文化が変わる

ろいうことなの?この辺読んで勉強しろ、ってか?昔ブクマはしているようだが…→一応読んだが、やっぱりようわからん…

 wikipedia:ダンテ・アリギエーリが生きていた頃は、地上界は天上界の鏡写し、と考えられていたの?

科学的な思考は、すでに得られた確かなものでできているわけではない。それは、絶えず動き続ける思索なのであって、その強みはまさに、あらゆるものを絶えず疑い、論じ直すという点にある

 こんなのもあるんだ:QBism:量子×ベイズ――量子情報時代の新解釈

ある対象にとって現実であるような事実が、常にほかの対象物にとっても現実であるとは限らない

ある属性が一つの石にとっては現実なのに、別の石にとっては現実でない場合があり得るんだと。

空の星は全く独立な存在として輝いているのではなく、その星が属する銀河を形作っている相互作用の網の1つの結び目なのだ

 知らニャイ…:wikipedia:ヴェネツィアンレース

 wikipedia:エルヴィン・シュレーディンガーも(最後には負けを認めて)

粒子を永続的な実体と考えるのではなく、束の間の出来事と考えたほうがよい

と言ってるんだとさ。

一つの存在は、一つであり、どれでもなく、一千万なのだ

 物理理論を書くときのwikipedia:ポール・ディラックは言わば詩人だとさ。

量子論には、似姿としてのわたしたちの普段の世界像と古典力学織り込まれている

 

科学的な知識とは集団的に組織化された経験なのだ

 アインスタインのwikipedia:神はサイコロを振らないに対して、wikipedia:ニールス・ボーア

神にすべきことを命じるのはやめなさい

とたしなめたとか。

 wikipedia:自然主義(哲学)

 これまた知らニャイ…:wikipedia:龍樹 次に出てきたこれも:【大乗仏教】中観派 龍樹の四句否定|ダルマ

知の探究を育むのは確かさではなく、根源的な確かさの不在なのだ

 

文化とは、経験や知識、そして何よりも他者とのやりとりを糧として私たちを豊かにしてくれる、果てしない対話なのである

 ふりがなあったから良いけど、無理して難しい語を使わんでも…:蝟集(いしゅう)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書

 wikipedia:志向性wikipedia:フランツ・ブレンターノ

 wikipedia:意識のハード・プロブレム*4

 wikipedia:自己も状況依存的なの?(ググるとそれらしい論文もチラホラ…)

 wikipedia:コウモリであるとはどのようなことか前読んだ本には「わからない」とか書いてあったようだが、もうちょっと上品に言うと

自然科学では捉えきれない

となるそうだ。

 精神(心)の本質に関する議論は、3つに集約できるんだと。

  1. 精神の現実と無生物の現実はまるで違うとする二元論
  2. 物質的な現実は精神のなかにしか存在しないとする観念論
  3. 精神的な現業はすべて物質の動きに還元できるとする素朴唯物論

異なる知の分野はそれぞれに自律的

だから「基礎物理学は物理学者たちが自負するほど有用ではない」若き日の自分に言い聞かせたい?一流の物理屋は、自らそのことを理解している人が多いように見受けられたが(そうではない人物もいないとは言えない…)。

 これのことかなぁ?信号は眼から脳へではなくむしろ脳から眼へ向かってるんだとか:目から入ってくる溢れるような視覚情報を "くっきり"させて脳に伝える仕組みの一端を解明 - 生理学研究所 それともこっちか?:【眼のしくみ】眼に映る本当の風景 | 自由研究におすすめ!家庭でできる科学実験シリーズ「試してフシギ」| NGKサイエンスサイト | 日本ガイシ株式会社 まとめると

言い換えればわたしたちは、外界を再構成した像を見ているわけではなく、自分が予期し、把握した情報にもとづいて修正を施した像を見ている

 (意識に関して)射影的意識モデル(PCM)とかいうのもあるそうなんだが、ググってもようわからん…

 wikipedia:イポリット・テーヌの言葉を借りると

知覚された外部とは、外部の事物と調和することが裏付けられた内部の夢なのだ

また、

「幻覚」を誤った知覚と呼ぶのではなく、知覚された外部を「確認された幻覚」と呼ぶべき

とも。

 という訳で、何とか完読できました。

 

*1:上の記事にも書いてあるようだが。

*2:訳者あとがきでは「物理の詩人」との形容も。

*3:「シュレーディンガーの猫」って結局どういう話なの? モヤモヤする部分を解説! - ナゾロジー

*4:ググったらイージー…についても記述があった…