そえばAmazonの商品検索で出てきた身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法も見かけた記憶はあるね、と思ったら、読みかけでしたか…身体はトラウマを記録する - た-くんの狂人日記
著者のホームページ:伊藤亜紗 | Asa Ito こっちも:多様な手と足のアーカイブ – Phantom and Artificial Limb Archive
元はWebで連載してたものらしい。残骸はこちら:記憶する体 伊藤亜紗 | web春秋 はるとあき 著者インタビューもあった:「記憶する体」伊藤亜紗さんインタビュー 障害者の体の記憶とは|好書好日
体は完全には自分の思い通りにはならない
ググったらこんな記事もヒットしたが:体は思い通りにはならない ― 体が教えてくれること:第2回 | Fasu [ファス]
運動の熟達はしばしば視覚の排除を伴う
一方で例えばwikipedia:テトリスは、ブロックを回しているうちに「ここだ!」とひらめくこともある*1、なんてー話もあって、これは機会があれば(今は)ショッパい川の向こうのアキちゃんに聞いてみたい…
障害のある人が、障害がある人を演じさせられてしまう
ということもある、と。これは(個人的に)大いに同意できる。
確かに、僕が入所中の国立障害者リハビリテーションセンター ホームページにも点字図書館があるみたいだが、にぎわってる様子はない。今は音声で読み上げてくれるソフトもあるから、目の不自由な人にとってはそっちの方が使い勝手が良いんだよね。
(記憶は)主観的でありながら、必ずしも能動的ではない
すべからく学習には、抽象化が伴う
確かに、障害があると「めんどくさい」が増えるんだよね…私も日々実感しております…面倒くさいけど鍛えられてる、と達観している?人もいるようだが。
本書でも、足は腕の3倍の力がある、と記述されてた。ググると(某知恵袋とか)違う意見もあるようだが。:人間の足は、腕の3倍の力 - からしいろの帽子
「痛み」には文化的側面もあるそうだ。ググったらこんなんもヒットしたが:痛みの文化人類学:anthropological understanding for human pain 本書にあった本は痛みの文化史 こんな本も:人工知能のための哲学塾
近代以降の文学において、描写とは基本的には「視覚による描写」を意味する
なんで、触覚や嗅覚の情報は「落ちやすい」そうだ。ま、そうか。なんで、視覚障害者が読むと違和感を感じることもあるんだとか。
この絵の話もあったが、例によってスルーorz:砲撃 フェルデ 複製画 名画 レプリカ
こんなのも:Mission ARM Japan – NPO法人Mission ARM Japanの公式WEBサイトです
記憶は、単なる過去の出来事の集積ではありません
wikipedia:幻肢痛が重くなると、ただ寝るのにすらwikipedia:麻酔が必要になったりするんだって…
【STORY × KIDS】「26年続いた苦しみが消えた瞬間 ー 原因不明の痛み"幻肢痛"へVRで挑む」 - Wrap
wikipedia:吃音症の工夫の一つに「言い換える」というのがあったんだけど、これは僕(感音性難聴*2)にも有効だと思う。問題は(吃音と違って)、本人がそれに気づいても周囲の人が配慮してくれないと意味がないこと…
こんなんもあるそうだが:こまば当事者カレッジ | 東京大学大学院総合文化研究科・教養学部付属 共生のための国際哲学研究センター(UTCP)上廣共生哲学寄付研究部門(「障害と共生」プロジェクト)
当事者主権 (岩波新書 新赤版 (860)) からの孫引きだが、
ニーズを持ったとき、人はだれでも当事者になる
いけばな(wikipedia:華道)をしていると、「花がしゃべってくれる」んだって。wikipedia:勅使河原蒼風曰く、「花はいけたら人になる」
なんかググったらヒット([あとで読む]):記録と記憶は異なる――大きく変化する生活者の日常を捉える | グーグルと考えるマーケティングの未来|DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー
という訳で、結局一日強で読破。
*1:つまり、見ながら考える面もある
*2:wikipedia:NHKは最近盛んにwikipedia:聴覚情報処理障害と言ってるが。