た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

障害受容再考

障害受容再考―「障害受容」から「障害との自由」へ

障害受容再考―「障害受容」から「障害との自由」へ

作業療法士としてキャリアを積んできた著者が、「障害受容」という言葉が何か本来持つべき意味合いからずれて、クライエントの「できないこと」に注目するため、再生のためのエネルギーの根源が見いだせないのではないか、という問題意識で、この言葉の持つべき意味合いを問いただしています。
ま、考えてみたら、オラも事故後まもなくの頃(二〜三年くらい?)は、結構マジメに大学(院)に戻って博士論文書く気でいたし、その頃は障害を受容できていなかった、と言われても仕方ない。*1じゃぁ、あきらめのついた今は、受容できてるのか、と問われると、本書で語られていたのは、障害受容とはあきらめや居直りではなく、価値観の転換だ、とあったから、やっぱり受容は出来てないのかもしれない。
まぁ、今後とも頭の片隅に押さえておかなくてはいけないテーマでしょう(特にオラのような人間には)。

ちなみに、著者のH.P.はこちら。→今はこっち

*1:その頃は、今みたいに障害受容の重要性が叫ばれていなかった。