た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

手話を生きる

そもそも一口に「手話」と言ってもwikipedia:日本手話wikipedia:日本語対応手話があるそうで、手話サークルなどで学ぶ手話はほとんどの場合後者(日本語対応手話)になるんだそうだ。で、これは、手話を母語とする者にとっては決して理解がたやすいものではないらしい。(スウェーデンの例だが、

対応手話は、人工的に考案された不自然なもので、子供たちを苛立たせただけでスウェーデン語習得の助けにはならなかった。

との記述も。)だから、聴者*1との意思疎通のためには対応手話も必要だろうが、ろう者自身のことを考えるなら、そこにとどまっていてはいけない、ということでしょうか。

(ろうの)子どもたちにとって授業のレベルは問題ではなく、まず自分が安心していられるところ、先生のいうことがわかるところ、そして自分のいうところをわかってもらえるところが必要だった

僕の辞書?では、「居場所が必要」ってことかな?

文法こそが人間言語の本質

という訳で、主には聞こえない子、聞こえにくい子に手話と日本語を | 明晴学園・乳児クラス・幼稚部・小学部・中学部の教育方針?(一言で言えばwikipedia:バイリンガルろう教育かな?)の説明でした。
あ、思い出した。

(ろう者にとって母語は手話だから)
まず、もっとも重要なのは、母語の確立です。(後略)

ことばの力学――応用言語学への招待 (岩波新書)からの孫引きですが。なので、この辺の話は昨今の英語教育の話題にもつながるように感じる。
そえば書名は、中学部を卒業するときにある生徒が後輩のろう児に送った言葉だそうだ。
うーん、でも最後の方にあった「サバルタン学究」が何のことか(ググっても)ようわからんorz

この後、図書館背取りが続く。

*1:≒健聴者。本書ではこう表記していたので。ただこう書いてしまうと、僕のように聞こえにくい人はどっちに分類されるんだろう?という気はする。