た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

インフォメーション

インフォメーション―情報技術の人類史

インフォメーション―情報技術の人類史

ここで読みかけたのを、年末年始の機会に頑張って読み切った。
一応出版社の記事:ジェイムズ・グリック、楡井浩一/訳 『インフォメーション―情報技術の人類史―』 | 新潮社
なんか(原)著者は、大昔に
カオス―新しい科学をつくる (新潮文庫)

カオス―新しい科学をつくる (新潮文庫)

を著わしたそうで(ということは、これが今年の手帳の古本コーナー第一号か?)、その著者が放つ「破格の一大叙事詩」だそうだ。→家の近くの図書館には無かったorz それほど古い本。

通信の理想が魂どうしの触れ合いであるなら、書くことはその理想の哀しき影法師なのだ。

wikipedia:論理学は(wikipedia:口頭言語ではなく)wikipedia:書記言語に由来するそうだ。
wikipedia:六十進法での掛け算は大変らしい。そらそうか。wikipedia:九九も。
wikipedia:ジェームズ・マレー曰く、

英語という円には、明確に定義された中心はあるが、はっきり目に見える外周はない

と言ってるんだとか。21世紀の現代、身につまされる話だ。
wikipedia:エイダ・ラブレスwikipedia:シャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴール(「日本では一般に「タレーラン」と略される。」)を「猿爺」と呼んでいたそうだ。確かにそんな顔だ…
wikipedia:腕木通信が発明された頃は、人類の四大発明は印刷、火薬、羅針盤、腕木通信用言語だ、と言っていた議員がいたそうだ。一般的には「紙」のようだけど。

ひとつの表象レベルから別のレベルへの意味の移動…が、数学の神髄とも言える

あんまり本論とは関係ないけど、wikipedia:ニューヨーク市立大学の化学者ホーマー・ジェイコブソン(英語のwikipedia)によると、「概算では、目は耳の四百倍の情報量」だそうだ。
名前が似てるからか、wikipedia:ゲーデルの不完全性定理wikipedia:不確定性原理を結びつけて考える人もいるようで。
Wikipedia にも書いてあるけど、wikipedia:Googleの開発当初の名前は、BackRub だったんだそうで。

(情報過多の今の時代)忘れることは覚えておくことと同程度に重要(かもしれない)

情報は知識ではなく、知識とは知恵ではない

なんかでも、図書館に蓄えられているような知識も、結局その時代に合わせたものにならざるを得ないのかなぁ*1、というのが読後感。そもそも(wikipedia:福岡伸一氏によれば)その知識の活用の主体である人間自体wikipedia:動的平衡であるらしいし。という訳で、個人的には野望を捨てて適当に生きていこう、と思うんだが…
さて、図書館に返しに行くとするか。これが図書館派のメンドいところ。でも¥3,200 もする本は自腹では買う気にならないですからなぁorz
あ、そうだ。でも索引があったのは評価できるな。つまり、(お金に余裕があれば)出版時に買う価値はあっただろう、ということ。

あと、例によって図書館で見かけた本:

*1:その意味では、お正月の間にたまった新聞どうしよう?