た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

<わたし>はどこにあるのか

〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義

〈わたし〉はどこにあるのか: ガザニガ脳科学講義

wikipedia:ギフォード講義とかいうのが元になっているそうだ。
hatena にあった記事:覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『<わたし>はどこにあるのか−ガザニガ脳科学講義』=マイケル・S・ガザニガ著」、『毎日新聞』2014年09月14日(日)付。 - Essais d’herméneutique
原題 "Who's in Charge ?" は、訳者あとがきでは「責任者は誰だ?」と訳していた。やっぱ、こっちの訳のほうが自然だと思うな。プロなんだから当たり前とも言えるが。つまり、ある行為の責任を個人に全面的に負わせるのはやはり問題があり、個人は社会から影響を受け、その個人が集まって社会集団をつくる、その社会が…という相互作用の連鎖になっている訳だ。
例の「生まれか育ちか?」という問題は、

脳の全体的な見取り図は遺伝子が描いているが、局所レベルでの個々の接続は実際の活動、つまり後天的な要因や経験に左右される

というのが現在の捉え方なんだそうだ。
そーえば例の「創発」は、本書では

ミクロレベルの複雑系において、平衡からはほど遠い状態で、自己組織化が行なわれた結果、それまで存在しなかった新しい性質を持つ構造が出現し、マクロレベルで新しい秩序が形成されること

なんだそうだ。うーん、わかったようなわからないような…
本書で紹介されていた例では、昔読んだ[読書]人間らしさとはなにか? - たーくんの狂人日記の原題の話で、著者としては位相転移*1と題したかったんだそうだ。でも出版社はいい顔をせず(ま、普通は位相なんて言われてもわからんしね)、原題「Human」という題名が創発したんだと。
また、最後に語られていたのは、

事実は変わらない。変わるのは、日々積みあがっていく自然界の事実をどう理解するかという考え方だ。

という言葉でした。あぁ、この言葉にもっと早く出会えていたらなぁ。というのは、僕は昔(父の生前)の口癖が、「事実は否定できない。」だったから。
という訳で、大変読み応えがありました。書き漏らしたことも多いので、文庫になったら買うかも。

*1:phase shift. 物理の世界では、「位相のずれ」と訳していた気がするが。