た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記(感想文との説も…)

人体実験の哲学

 あら、こんな項目もあるや:wikipedia:非倫理的な人体実験 あんま関係ないか?

 これまた図書館で見かけて、だっけ?

 原題を直訳すると「卑しい体」ってことなんだそうだ。

 元はフランスの本らしいけど。読んだ本ではイギリスは腹黒紳士だそうだが、本書を読んでたらフランスも結構腹黒貴族やんけ、という気がした。

 陋床*1なんて振り仮名ふられても意味わかんないよね…ググってもわからんし。陋が狭い、って意味みたいだから、狭い(寝)床、つまりはオラの寝床みたいなもん、っていう理解で良いのかな?

 こういうことが言われてるんだと:芸術は長く人生は短し(げいじゅつはながくじんせいはみじかし)の意味 - goo国語辞書 似たようなことはいろんな人が言ってるね。Wikipediaの項目が無難か:wikipedia:少年老いやすく学なりがたし

医術はいつも、真実の顕現の時間と個体の命の時間に挟まれている

 著者曰く、学問は一種の狩猟だそうだ。

 wikipedia:ガブリエル・マルセルが「人間卑賎化の手法」というようなことを言ってるそうだが、ググってもヒットせずorz

wikipedia:ドゥニ・ディドロにとって、卑しい人々は卑しい状態になるまで損壊された人々であった

 wikipedia:フェリックス・ヴィック・ダジールによると、

知識とは、その獲得の行程が跡形もなく消えた後に残る効用であり、我々が感謝のからもなく使用している遺産である

とのこと。

私がこれから語る歴史は、公式の科学史によって隠された歴史、科学的知識を一面において成立せしめた政治の歴史である

 wikipedia:アンシャン・レジームにおいては、貴族は断頭刑、平民は絞首刑だったんだと。wikipedia:ギロチンに書いてあるわ。

 こんなんもあったそうで:google:カラス事件

 なんかググったらこんな記事もヒットしたけど[あとでょむ]:テクノロジーの発達で、生死の境界線が曖昧になる時代に…あなたは死について考えたことがある? | 国内 | ABEMA TIMES

監獄は、実験者が観察することができる管理統制された人間集団を提供する

 

医学実験を行う権力と刑罰を与える権力の間には、歴史的なつながりがある

 で、wikipedia:18世紀のヨーロッパでは、死刑囚の体は高貴な人物の代替の役を果たしていたんだと。

 常套句にwikipedia:トポスってルビがふってあったんだけど、トポスってそういう意味もあるの?

人間は苦痛を与えることに慣れると、道徳実践に必要な憐憫や共感といった感情を押し殺すようになる

 

死刑の問題は、残虐さのスペクタクルを繰り返して見せつけることで、人々の魂を硬化させてしまうところにある

 「法は計量の物差しであるべきもの」だそうだ。ググってもそのココロはようわからんが。

 wikipedia:17世紀wikipedia:天然痘は小梅毒とも呼ばれ、wikipedia:風土病だったんだとか。

 「英雄的治療」とかいうのもあったそうだが、ググったらこれヒットした:誤解が生んだ「近代化」−コレラとイギリスの奇妙な関係− 見市 雅俊 氏

 医学wikipedia:統計学は医学的算術だそうだ。(同様にこんなんもあるとか:wikipedia:政治算術

 wikipedia:モーセの十戒も、宗派によって微妙に違うんだね…

 wikipedia:ワクチン(語源・名称)

 「ペイラスモロギー」ってググると本書の記事ばかりヒットするんだけど、wikipedia:de:Marcus_Herzによると

試験の倫理的、および認識論的な方法論

なんだって。

 200年経ってもまだ科学的証拠のないホメオパシー | WIRED.jp*2

我々の体と命は、この世に生きている間われわれに管理が任され、使用権が許されたものであり、我々に属するものではない

「貧者とは、自分の体すら所有していない者である」

「無能とは、相対的な能力の低さに過ぎない」

 ホスピタリティ | 鳥取大学医学部附属病院

 クリニックの語源─古代ギリシャ語やラテン語に遡って考える概念 [エッセイ]|Web医事新報|日本医事新報社

医学の観測所は病院だった

 で、臨床の使命は「貧民救済と科学の進歩」を同時に可能にすることにあったんだとか。ある意味、治療を受けることが労働だったんだとか。

 wikipedia:ミシェル・フーコーの著作に『臨床医学の誕生』ってーのもあるんでっか。

病院は医療の知識と経験を汲み尽くすことができる学校だ

 

実験の場では、患者は個人ではなく症例になる

だから(厳しく言うと)、症例を集めることを第一に考える医師には、病気に苦しんでいる患者の姿が目に入ってない、ってことか。

 19世紀のある考え方では、

つねに患者の生命を最優先させなければならない。生命に対しては、医者も患者も自由に使用する権利はない

 wikipedia:アルフォンス・ドゥ・カンドールにとっては

薬学は確かに人間が所有する知識分野の中でも最も人間生活にとって直接な有用性を持つものであるが、それと同時に、最も未完成な状態にある学問である

とのことだそうだ。

方法は、係争を引き起こすがゆえに、倫理を生み出すのである

 wikipedia:壊血病の治療法の探求が、(今で言う)wikipedia:対照実験の発端だったんだと。

 こういう言葉も:アロパシー医学とは?

 「治療的実験」というキーワードでググると、こんなんヒットした(あとで読む):なぜ「人体実験の倫理学」なのか----概説

医療は本当に実験科学になり得るのだろうか

これまたググると上のページヒットした。

 こんな表現もよくわかりません…(訳注はあったが)

wikipedia:イーピゲネイア*3はもういない。生きているのはクルチウス*4だけだ。

 

口先の承諾以上に、当該患者が、予定されている実験から予測される結果や、望ましからぬ副作用などに対するある程度明瞭な展望を抱くことができる能力を備えていなければならない

まぁ入院中の患者にそこまで求められるものか、という気はするが。入院中の僕にはそこまで求めるのはムリ、と断言できる。

医者への従属を強いられ、院内では絶対弱者の立場にある患者の選択と自律は、大きな制限を受けていた

 

完璧な承諾を見つけ出すことなどほとんど不可能に近い

 wikipedia:ジョルジュ・カンギレムが言ってるの?

承諾を与えるということは、他者の主張を自らのものとして引き受けること

重いね…

 こんな人もいたとか:アレクシサンマルティン

 wikipedia:ジョルジュ・キュヴィエが言ってるそうだが、

生きた有機体は「壊すことなしには解体できない機械」であるゆえに、生体実験はwikipedia:生理学においては無効である

とのこと。要するに中を見ようと切り刻んだ瞬間に別物になってしまう、ということらしい。

観察は事実確認の行為にすぎないのに対して、実験は観察された事象を通してある実験企図を統制する行為である

あるいは「実験は意図的に生み出された現象の観察」だそうだ。wikipedia:クロード・ベルナールの言では「実験は作り出された観察である」だって。

脳を解剖するためには、教示するところ豊かな事故に頼るしかない

オラの事故も、脳科学の進歩に役に立ったでしょうか?

規制するにはまず使用しなければならなかった

 しかし、wikipedia:アンティル諸島なんて知らんのだよなぁ…訳注が欲しい。

 オルランドパターソン (Orlando Patterson) 2021 - jpedia.wikiという人が奴隷の置かれた状態を「社会的死」という言い方で表現したんだと。

 wikipedia:フランベジアという病気もあるそうで。

 「植民地医学」というのもあったそうだが、現地人のためのものではなく入植者側のためのものだったとか。

 「風土を変えることは新しい人生を始めること」*5

 google:実験用収容所] とググると[wikipedia:ナチス・ドイツの話ばかりヒットするんだけど、19世紀末から20世紀初頭にかけては、他の国々も植民地に作ってたんだと。ググった結果だけ見てたらアカンね。

 アフリカ睡眠病(アフリカトリパノソーマ症) 事故以前にもよく昼寝していた僕は、指導教官に「お前、これじゃないか?」と言われたことがあったけど。

 最後のまとめは、

19世紀に発展した帝国主義と植民主義的人種差別を支えるいくつかの議論は、ナチスユダヤ人差別とユダヤ人絶滅のイデオロギーの出現とともに、新しい解釈と改編のもと、再び利用されることになろう

とのことだそうで。

 という訳で注や索引を入れると500ページ以上で、疲れた…

 

*1:ろうしょう、と読むらしい。

*2:「信じるものは救われる」の効果(=プラシーボ効果)でないの?

*3:本書では長音省略

*4:wikipedia:en:Ernst_Curtius

*5:ググってもようわからん…