た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

ファシズムの教室

 こちら:『ファシズムの教室 なぜ集団は暴走するのか』日常に潜む小さなファシズム - HONZ*1 の記事から予約して、順番回ってきたのが水曜日、木曜日に受け取りに行って、それから二日で読破。まだ予約は溜まっているようですが…

 wikipedia:ファシズムの定義は、

統一的な合意は存在しない 

 そうで。本書では、

全員で一緒の動作や発声をくり返すだけで、人間の感情はおのずと高揚し、集団への帰属意識や連帯感、外部への敵意が強まる。 この単純だが不普遍的な感情の動員のメカニズム、それを通じた共同体統合の仕組み

 を「ファシズム」と呼んでいるとのこと。

 wikipedia:ナチズムの時代を生きた人々は、良い時代だった、と振り返る人が多いんだとか。日本でも戦前のwikipedia:大正時代はwikipedia:大正ロマンやらwikipedia:大正デモクラシーとかいう言葉があるね。こんな記事も(あとで読む):「大正デモクラシー」はどうして戦争を止められなかったのか / 成田龍一氏インタビュー | SYNODOS -シノドス-*2なんで、近年では「google:合意独裁」という言葉も使われているんだとか。

 wikipedia:はだしのゲンの鮫島伝次郎(かな?wikipedia:はだしのゲンの登場人物)の逸話も。言わば「時代の正義」に従っていた(だけ)なんだとか。現代ニッポンにもそういう人多そう…そこから言えることは、彼らの言うことは変わり得る、という教訓ですかね?

権威に服従している人はいわば「道具的状態」に陥っている 

 んで、自分のアタマでは考えられないんだと…さらには、服従によって逆に一種の解放感を味わってるんだとか。アブナいね。

 人種主義 - Wikiwand

ドイツ民族が「黒い汚辱」を受けているというキャンペーンが頻繁に行われていた。

 wikipedia:民族共同体

 wikipedia:アドルフ・ヒトラーの演説は基本的にどれも言ってることは同じで、

貧しい人も富める人も、労働者も知識人も、みんな力を合わせて、ドイツのためにがんばろう 

 なんだとか。

 【美術解説】退廃芸術「ナチスに弾圧された近代芸術」 - Artpedia アートペディア/ 近現代美術の百科事典・データベース

 世界一有名なカブトムシ!? VW タイプ1″ビートル"が持ってるスゴすぎるギネス記録って知ってる? | Motorz(モーターズ)- クルマ・バイクをもっと楽しくするメディア -

 wikipedia:意志の勝利

 wikipedia:T4作戦

ナチスは人びとの欲望を抑圧したというよりはむしろ、それを開放した側面の方が強かったと言える 

  そえばこれは新版も出たんだったか:wikipedia:イエルサレムのアイヒマン

 デブリーフィング:米空軍に学ぶ ナレッジマネジメント法 | DIGIDAY[日本版]*3

 wikipedia:社会意識論とかいうのもあるそうで。

 「青い目、茶色い目」50年前の差別実験、“目の色が起こした嵐”が再び話題に | ハフポスト

 独裁(ファシズム)には

「指導者(中心的人物)」とそれを支える「共同体の力(規律・団結)」 

 が欠かせないんだとか。

民主主義が「多数派の支配」と理解されているような社会では、 その(ファイズムの)危険性はむしろ高まっていると言うべきだろう

 集団行動にのめり込む要因をまとめると、

  1. 集団の力の実感
  2. 責任感の麻痺*4
  3. 規範の変化

とのこと。

 アウシュビッツ以外にもこんなのがあったそうだ:wikipedia:ベウジェツ強制収容所wikipedia:ソビボル強制収容所wikipedia:トレブリンカ強制収容所

 なんで、団結は力なりとは - コトバンクというのも、無自覚に使うとアブナいかなぁ?

 ふーん、こんなこともあったんですか:RADWIMPS「HINOMARU」騒動 「軍歌」についての“4つの誤解” | 文春オンライン

 あ、でもそういえばナチスに抗った人々もいたんだよね:極限状況の中、弱者が絶対的な弱者ユダヤ人を救う 岡典子著『ナチスに抗った障害者』を読む|じんぶん堂*5 その人たちの視点がなかったのは残念でした…

*1:ちなみにHONZにはこっちの記事もあるようで:『ファシズムの教室 なぜ集団は暴走するのか』「正しさ」という思考停止、集団暴走の仕組みを学ぶ - HONZ

*2:例によってブコメにはいろんな異論があるようですが…

*3:略してデブ、とはならないだろうなぁ…

*4:権威への服従と集団への埋没が人びとを道具的状態に陥れ、無責任な行動に駆り立てていくんだとか…

*5:もちろんこの本は本書よりも新しいから、後出しじゃんけんだ、と批判することは可能ですが、そういう人がいた、ということは、以前から知られていたはず。wikipedia:アルベルト・アインシュタインにもそういう面があったんじゃなかったかな?