た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

AIに負けない「教育」

 

AIに負けない「教育」 (認知科学のフロンティア)

AIに負けない「教育」 (認知科学のフロンティア)

 

 「読みたい」タグにてこちらの記事を発掘、図書館で取り寄せ、読破。

こんなのもあるんだね:wikipedia:デジタルトランスフォーメーション*1

高度経済成長期における社会の目標は、「発展…給料が増えること、物質的に豊かになること、移動が速くなること、そして生活すべてにおいて便利になること 

 でもそういう右肩上がりの目標が、もはや現実的ではないんじゃないか、という問題意識のようだ。そえば著者は昔鉄腕アトムと晋平君―ロボット研究の進化と自閉症児の発達 なんていう書も著したそうなんで、本書は言わばそれの続編(完結編?)の側面もありそうだ。

(たぶん)wikipedia:ガーボル・デーネシュが、「成熟社会」とは

人口及び物質的消費の成長はあきらめても、生活の質を向上させることはあきらめない世界であり、物質文明の高い水準にある平和なかつ人類の性質と両立しうる世界

 であると述べてるそうだ。

また、wikipedia:鬼頭宏によれば、人口減少は

文明の成熟化に付随する必然的な歴史現象 

 なんだそうだ。

なんか昔はてブでブクマしてる(wikipedia:フレーム問題)んだけど、人工知能はこの問題にぶつかって進歩が止まってたんだってね。

情報というものは人間を取り巻く環境そのもののなかに存在している 

状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加からの孫引きっぽいが。

図解入門 最新人工知能がよ~くわかる本 (How-nual図解入門Visual Guide Book)によれば、次の手として考えられる手数は、チェスでは400通り、将棋では900通り、囲碁では129,960通りだそうだ。

wikipedia:AlphaGoの基になってる人工知能wikipedia:DQN (コンピュータ) っていうんだってね。wikipedia:DQNとは関係あるのかな?

著者は(たぶん)これにも関わったんだね:ほっとママ

そえばこれも見かけた記憶はあるな:wikipedia:ELIZA

正しい知識の伝達だけではwikipedia:カウンセリングにならない 

 本書の表現では、「創発*2

上から与えられた行動ではなく、局所的なルールを積み上げるボトムアップの学習によって定義されていない上位のふるまいが自発的に生じる こと

 だそうだ。

wikipedia:ディープラーニングが注目されるのは、…複雑な処理を 比較的簡単で単純な手法で構築できるから

 だそうだ。

こんな話もあるそうだ:2012年にAIの歴史が動いた!ついに猫認識に成功した「Googleの猫」 | マルチナ、永遠のAI。 | ダイヤモンド・オンライン

wikipedia:Ponanzaは、(強化)学習で強くなったんだとか。:Ponanza開発者、山本一成氏が語る強化学習とA/Bテスト運用の舞台裏 - ログミーTech

実際には難しいのかも、と断りつつ、

教師は「学習者の主体的な学び」を導くために「待つ」という姿勢を忘れてはならない

 そう、最近は何でも仮名にして事なかれ主義のことが多いけど、上でも出てきた「晋平君」の母親は、

障がいを持っているという理由により名前まで消されてしまうことは、とても耐えられることではありません。 

 そういう人もいるんだから、一律に仮名っていうのもどうなの?とは考えてほしいと思う。似たような話として、「障がいを治す」という言い方にも違和感はあるんだよね。

wikipedia:e-Japan*3とかwikipedia:u-Japanとかあるんだってね。

wikipedia:ビッグデータは「だいたい正しければそれで可とする」という発想なんだって。

筆者の考えとしては、

「教師が予想できない ような学習者の答え」こそが「教育」にとっては非常に重要である

 だそうだ。

wikipedia:コンピテンシーは端的に言うと「見えない(見えにくい)能力」だそうだ。

wikipedia:ヒューリスティクス

なんか著者は、wikipedia:茶道にハマったようだ。裏千家のホームページからの引用もあったように記憶してる:裏千家ホームページ はじめてのお茶 なんで、現在の教育は、言わば美術館にある茶碗を眺めている状態なんだそうだ。

で、著者は、元々(今でいう)wikipedia:言語聴覚士なんだってね。

そう、オラは人の名前を思い出せないことが多いんだけど、これは難しく言うと「健忘失語(wikipedia:失語症)になるのかな?

マニュアル化できるような仕事は、そのうちロボットに置き換えられるそうだ。

こういう問題もあるとか:AIが学習しすぎる?「過学習」問題とそれを抑制する方法 | AI入門ブログ(人工知能の作り方など人工知能に関する情報を公開)

これからの「教育」では、教師が学習者の「学習」を完全にコントロールすることが必ずしも唯一の選択肢ではない 

 そうだ。

「一生懸命がんばって」は、障がい児教育のトレードマークだそうだ。

記憶のゆくたて―デジタル・アーカイヴの文化経済 からの孫引きですが、

記憶の本体は、記録の保存ではなく その生成の過程にこそあるといえる(後略)

 wikipedia:妖怪は、昭和40年代に絶滅したのかな?確かにあの頃は、ボットン便所(wikipedia:汲み取り式便所)もまだまだ現役だったように記憶するが。

これも孫引きですが、

知性から直観は生まれない。直観は生命そのものから生まれてくる 

 ところで、著者にはこんな著書もあるそうで:超デジタル時代の「学び」

そえばこんなのもあったね:wikipedia:ジャケ買い

で、「近代教育」なっちゃうけど:wikipedia:近代学校教育制度、社会が高度経済成長期から成熟社会へ変わりつつあるのだから、教育(制度)もそれに合わせて変えてゆく必要があるだろう、というのはその通りなんでしょう。最後の(鼎談の)まとめとしては、

これからの「人工知能」時代は、人間の「知」や「学び」に焦点を当てた新しい「教育」の時代にしてゆかねばならない 

 

*1:読書ノートにはサボって「デジトラ」とメモしてあったんだけど、これじゃぁ何のこっちゃわからんねorz「デジタルトラック野郎」だってあり得る。いないのかな?

*2:こういう概念は、いろいろな表現の仕方を勉強しておくことだ大事だと思うんだよね。

*3:wikipedia:2億4千万の瞳(exotic-Japan)はダメ?