た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

熟議が壊れるとき

熟議が壊れるとき: 民主政と憲法解釈の統治理論

熟議が壊れるとき: 民主政と憲法解釈の統治理論

ググったらこんな記事もあった。:キャス・サンスティーン『熟議が壊れるとき』第1-3章まとめ - かすてらすねお。(d) で、この記事にはない4,5章はというと、第二階の卓越主義だの第二階の決定(最後の章の扉の文言によると、

合理性に限界がある現場の(=第一階の)意思決定者と、それを支援し導くための制度を設計する(=第二階の)意思決定者

という説明があったが。)だので、なんか法学の話っぽかった。一応目は通したが、なんかよくわからんorz でも「第二階」というキーワードのおかげで訳者あとがき編者解説を見つけた。:(PDF) あとでゆっくり読もう。
最初の方では、集団極性化:心理学用語集 サイコタム集団極性化)の話をしてた。

簡単にいえば、熟議集団の構成員が、その傾向を熟議前よりも極端化させること

とのこと。
そえば、wikipedia:ヒューリスティクスは「発見的手法」と訳してた。いづれにしろ、よくわかりませんorz
トーシローは、wikipedia:ソロモン・アッシュの実験とか言われても全然わかんないんだよね… これらしい:長いものには巻かれるべきか | マーケットで成功するための投資の心理学 | ダイヤモンド・オンライン

どうやら、公の場で多数派に対する賛成の意が示されたとしても、発言者が自分は多数派と同じ集団に属していると考えている場合、その発言は不正確で本心ではないと考えている可能性が高いのである。

で、この集団極性化という現象は、同調の欲求によるものだ、というのは一つの説明の仕方ではあるが、そういう問題ではないそうだ。

インターネットは、多くの人にとって、極端主義の温床なのである。

やはりそうか…
だから、この集団極性化減少が示すのは、

現実の状況下においては、熟議によって真実へ到達するという可能性が高まるという保証はほとんどない

ということなんだって。なんかお先真っ暗…

多数決は、選考の正確な集計を提示できない

で、本文中に「wikipedia:権原」なんていう語が出てきたから、変換ミスか?と思ったら、そういう用語があるんですね…ムチなオイラの負け!

共通善への献身にむけて市民たちをまとめるのに役立つのは、戦争である

(戦時はもちろん、平時においても)
お上が無節操に「善」とか「お国のため」とか言い出したときは、眉に唾つけたほうが良いってことか?
google:ロクナー時代というのもあるらしいんだけど、ググってもわからんorzロクなもんじゃね〜

憲法などといった

完全には理論化されていない合意は時間をかけて吟味、批判されるべきである。

というわけで、ここつながりで発掘して読んでみたけど、素人には敷居が高かったorz

それともう一冊。まぁこれまたななめ読みではあるが。