た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

アインシュタインの反乱と量子コンピュータ

アインシュタインの反乱と量子コンピュータ (学術選書)

アインシュタインの反乱と量子コンピュータ (学術選書)

またもや文ちゃん本です。特に後半とか、wikipedia:哲学にも足を踏み入れてるから、wikipedia:哲学wikipedia:理論物理学はやっぱり紙一重だなぁ、という思いを新たにした。
wikipedia:コペンハーゲン解釈は、量子力学の哲学的な概念を妄念とし、思い悩むなと教導する思想善導策だそうだ。
アインシュタインの四つの顔」という話があるそうだ。ググったら PDF があった。https://annex.jsap.or.jp/photonics/kogaku/public/34-12-kaisetsu1.pdf*1
wikipedia:ロバート・オッペンハイマーwikipedia:アルベルト・アインシュタイン評が面白かったので、デジタル書き抜き。

彼(アインシュタイン)は自分が育てた量子理論を憎み、そしてそれと戦った。けれどもこのようなことは科学の歴史でよくあることなのです。

wikipedia:アルベルト・アインシュタインの論文で引用が最も多いのはwikipedia:アインシュタイン=ポドルスキー=ローゼンのパラドックスの論文なんだそうで、だからアインシュタインwikipedia:量子情報の学問を作った人、とみることもできるそうだ。あとそのアインシュタインの言葉では「神はサイコロを振らない*2が有名だけど、もう一つ「ばかげた遠隔作用、それこそテレパシーだ。」*3というのもあるそうだ。
そーえば文ちゃんは学部の授業でwikipedia:解析力学の授業を担当してたけど、解析力学は「自然をありのままに見ない修行だ。」そうだ。
また、

量子のからみあう宇宙

量子のからみあう宇宙

によると

宇宙は
10^{90}
ビットの情報に
10^{120}
ops*4の論理演算を行ってきた情報マシンだ

そうだ。
また、確率については、

要するに不確実さの処理に要求される説得性を数学合理性にのせたものが確率であるといえる

そうだ。なおそのすぐ後では、

確率は「不安解消」の為に人類が格闘した末に行き着いた一つの手段なのであろう。

とのこと。

10回やれば必ず「当たり」はでる、と言われても、人生はそれを許さない。

世界像が行動を誘う(こともある)

オットー・ラポルテがwikipedia:ヴェルナー・ハイゼンベルクに言ったという言葉:「君はあんまり哲学をやりすぎなんだよ。」文ちゃんもね。だって、こんな話もしてるんだもん:荘子 外物篇「コトバを忘れよう」
こんな話もあった。:http://rokamoto.sakura.ne.jp/education/quantum-basic/electron-atom-nuclei091006%EF%BD%83.pdf
wikipedia:野依良治氏が、

科学の研究は「事実の発見」ではなく「価値の発見」が重要

だと言ってるそうで。
そんな感じでまぁ楽しめたんだが、最後の方にあった

日本人には(学問の話より)「誠」が人気であった。

というのが文ちゃんの嘆き?を象徴しているように感じられた。

*1:もっとも、昔の記事見てたら、こういう PDF は時々消えてるから、リンクだけで済ませると読めなくなって泣きを見ることもありそうだが、そん時ゃそん時だ。

*2:原文:God does not play dice.

*3:原文:Spooky action at a distance, telepathically.

*4:wikipedia:FLOPSのこと?その他こういう誤植?がやたら目についたorz