た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

選択の科学

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錯覚の科学 - たーくんの狂人日記の Ads by Google *1からその存在を知り、図書館で借りて読みました。忘れないうちに書いておくと、成毛氏の紹介記事はこちら。(でも、著者名でググると山ほど書評が出てくるね。)テレビでも紹介されたそうだ。それだけ、話題の書ってことでしょう。
著者は視覚に重い障害があるそうで、それでもコロンビア大で教鞭を執って、このような立派な書を著すことが出来るのは、やっぱりアメリカという国の懐の深さなんでしょうか。
著者曰く、本書のテーマは「選択」という文脈で考えることの利点、だそうです。
私たちは「自己決定感」を切実に必要としていて、

自己決定権を維持できないとき、わたしたちは無力感、喪失感を覚え、何も出来なくなってしまう。

んだそうです。僕も入院中のことなんかを思いだしてみると、言わんとするところが何となくわかる気がする。まぁ、今から思えば、あれはあれで仕方なかったんだ、と思えますが。
というわけで、とても読み応えのある書なんだけど、翻訳書ゆえの限界か、このテーマを日本人が研究したらどうなるんだろう?と疑問符がつく部分も多少あった。全体的には選択できることの利点を説いてるんだが、その利点の大小は文化によって異なるらしく、ある実験では、アングロサクソンアメリカ人の場合自発的な選択をさせた方が成績が良かったのだが、アジア系アメリカ人では教育的な選択をした方が成績が良かった、とか。日本は、個人主義指標のスコアが、集団主義的と個人主義的のちょうど中間のスコアだったそうだ。そんなら本書中で述べられていることも、そのまま日本人に当てはめるのは危険なのかな?そういう好みは、文化を通じて第二の天性となるそうですから。
でも面白かったエピソードは、著者は京都に留学していた経験があるそうですが、ある時お茶(当然、日本茶でしょうね。)を飲むことになって、「私(著者)はお茶に砂糖を入れたいの」って言ってもお店の人は何だかんだ言って砂糖を持ってこず、でもコーヒーを注文したらあっさり砂糖を持ってきたんだとか。なんか、いかにも日本的な杓子定規の対応だなぁ、と思った。京都の「おもてなし」つまりホスピタリティーは最高といわれるのにね。
最後の方でまとめられていたのは、原題にもあるように

選択は"art"*2である。

ということでしょうか。

*1:今は違う本の広告になってるけど。

*2:本書では「芸術」と訳してたけど、むしろ「わざ」とか「技術」っていう意味だと思うな。