- 作者: 佐藤直樹
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2004/04/23
- メディア: 単行本
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著者の専門は本来は刑事法学だそうで(wikipedia:佐藤直樹 (世間学))、本書もどちらかというと法学的なアプローチが多く*2、文化人類学や社会学的なアプローチを期待すると期待はずれに終わるかもしれません。副題に見られる「なぜ世間は「鬼ばかり」なのか」の疑問には明白には答えていなかった(読み落としがなければ*3)。つまり、副題は釣り、ってこと。
だから、次は、文化人類学、あるいは社会学的な手法でこの「世間」、そして副題の問いに迫る書を読んでみたいかな、とも思う。
でも古来、日本には「世間」はあったが「社会」はなかった(ここでちょっと述べたように、明治期に輸入された語でしたよね。)、という指摘*4は興味深かった。で、世間の中では、個人*5、そして個人が存在しない以上wikipedia:自己も存在しない、という指摘も興味深かった。そしたら、「責任」というのも虚構ですから(参考)、自己責任というのは存在がアヤしい語を二重に重ねているわけで、ますます正体不明のアヤしい語、ってことになりますな。
ちなみに、日本世間学会 - The Japanese Sekengaku Societyなる学会もあるそうだ。著者も呼びかけ人に名を連ねている。
*1:日付失念!
*2:まぁ、ワタシャ法学の専門家ではありませんから、この表現が正しいかどうかはわかりませんが。
*3:まぁ、ワタシャしょっちゅう読み落とししますが。
*4:もともとはwikipedia:阿部謹也氏が指摘されたそうです。
*5:これも、individualの訳語らしい。wikipedia:個人の「個人という訳語」を参照。