本書の最後の最後で、
不寛容を乗り越えるカギとなるのは知識
とありました。これは僕も同感で、僕は広島で交通事故に遭ったから、広島のことはあまり好きではなかったのですが、いつだったか広島市を訪ねた際、広島もなかなか面白い街だな、と感じ、それまでの広島に対する嫌悪感、不寛容が和らぎ、所詮広島も日本の(不幸な?)一地方都市なんだなぁ、と思えて、広島を赦す、と言ったらちょっと大げさだけど、そんな気持ちになりました。
まぁ、個人の不寛容は個人の問題だから、民族と民族の間の不寛容と話が別だ、といわれればそれまでかもしれませんが、そもそも民族というのは虚構ですから、民族と民族の間の不寛容も結局は個人の不寛容の問題に帰着できるはずで、結局は相手の立場を「知る」ことがいずれは「赦す」ことにつながるんじゃないかな、と思います。
でも、広島で食べた広島風お好み焼きが、京都で食べた広島風お好み焼きより不味かった(と感じられた)のは許し難いけど…