た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

説明責任時代の生徒指導力

説明責任時代の生徒指導力 (学級経営力を高める)

説明責任時代の生徒指導力 (学級経営力を高める)

共著者の一人が、高校時代の友人です。そんなわけで、こういう畑違いの本にも手を出してみた次第です。
なんか、学校の生徒指導でも、(特に今の時代)一人の教師だけで指導するのには限界があり、教師集団全体で対処しなければならないらしい。なかなか面倒くさい時代だなぁ、なんて思う。
僕が某大手予備校(K塾)でチューター*1やってた時代(十数年前)は、まだ個々のチューターの力量がものを言う時代だったけど、それからまたさらに時代は変わっているようだ。ま、十年一昔、と言いますから。
本題からはずれるけど、しかしまぁ、現代は「説明する」ということに責任が要求される妙ちくりんな時代ですねぇ。まぁこの wikipedia:説明責任 というのはAccountability の日本語訳のようですが、accountability を「(説明)責任」といっていいものなのかなぁ、なんて思う今日この頃です。こっちで論じていたように、責任というのは虚構ですから。最近の話題で言うなら、小沢幹事長が説明責任を果たしているかどうか、なんていう話があるけど、そんなもん皆が納得してないんだから責任を果たしている、とは言えないでしょう?でも、そもそも小沢幹事長なんて田中角栄の弟子なんだから、どこまでも灰色な男だ、なんてことくらい皆とっくにわかってたことじゃないの?
ま、脱線が過ぎました。

*1:大ざっぱに言って、学校の先生の業務から教壇に立って実際に授業すること(それは講師の役割)以外の部分全て、が業務(仕事)になる。