た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

人体ビジネス

人体ビジネス―臓器製造・新薬開発の近未来 (フォーラム共通知をひらく)

人体ビジネス―臓器製造・新薬開発の近未来 (フォーラム共通知をひらく)

本書は、google:耳ネズミ*1の画像に衝撃を受けた筆者が、6年にわたる取材の結果をまとめたものです。(まぁ、あとがき見ると、要するに雑誌に掲載された七編の記事をまとめたもののようだが。)
健康で長生きしたい、というのは、多くの人の願いだと思うのですが、そのような欲望を際限なく拡大・充足させてゆくと、(かつての経済学が環境に対するコストをゼロと見なした結果致命的と思われる地球環境の破壊を招いたように)医学や生物学が道徳のコストをゼロと見なすならば、致命的な道徳崩壊を招いてしまうのではないか、というのが終章で語られていた筆者の危機意識ですかね。
そしてそういう欲望を拡大してゆくと、いずれはwikipedia:優生学のような危険な思想の復活を招くのではないか、という危機意識です。これは大いにうなずける考え方でしょう。
脳死・臓器移植についてはにもちょっと書いたけど、(誰かが言ってたのですが)現在の法制度の下での臓器移植がなかなか進まないのは、要するに背後に移植医療に対する不信感があるのです。僕も定期的に(大学)病院に通っているクチですが、個々の医療人に対してはそれなりの信頼感はあるものの、大学病院という大きな組織になると、個々の人間が持っている信頼感が薄れ、何か得体の知れない怪物を相手にするような不安感を感じます。(まぁ、日常の通院時にはあまり感じないけど、前に一ヶ月ほど検査入院したときには、それを強く感じた。それ以前の入院中では、そこまで考える余裕はなかった。)
で、以前書いたときにも警告したけど、本書でもやはり優生思想の復活を危惧していた。(参考wikipedia:優生学)そして、優生より共生の思想を、と訴えていた。(wikipedia:共生では、7.の社会科学分野への意味の拡張での意味合い、かな。)
もし自分が移植医療の当事者となった場合、ドナーとなるかどうかは、最終的には医療者との話し合いの中で決めることになるのではないか、とは思うのですが、日頃からこういうことについて考えを巡らせ、家族と話し合っておくことはまぁ大事になるのでしょう。それはそうだとしても、今回の臓器移植法の改正は、解散を目前にしてどさくさ紛れに採決を強行した感が強く、そういうともすれば場当たり的な対応をしていると、まずます移植医療に対する信頼が薄れ、移植医療の普及を遠のかせることにはならないか、という不安感が募りますね。だいたい、民主党が政権を取った今改めて採決したら、果たしてどういう結果が出るのかなぁ?

*1:ちょっとおぞましいと思うので、画像は敢えて直接は張らない。見たい人はググる(画像検索)と見つかるでしょう。