た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

ヒトラーの特攻隊

ヒトラーの特攻隊――歴史に埋もれたドイツの「カミカゼ」たち

ヒトラーの特攻隊――歴史に埋もれたドイツの「カミカゼ」たち

著者の三浦氏は、中日新聞東京新聞)の記者さんで、本書は、東京新聞社会面で、2008年五月二十五日から全五回連載された連載企画「記憶・戦後六十三年 ドイツの『カミカゼ』」に大幅に加筆修正したものだそうです。
筆者もそうだったそうですが、ドイツにも特攻隊があったとは知りませんでしたね。もっとも、(日本の)カミカゼ特攻隊は「自殺攻撃」で生還する可能性がほとんどゼロに近いのに対し、このドイツの特攻攻撃(エルベ特別攻撃隊)は「自己犠牲攻撃」であり、十の内一か二は生還する可能性はあったのですが。(そこには、キリスト教では自殺は罪である(参考資料(Yahoo! 知恵袋))、という思想が関係しているのではないか、というのが筆者の主張です。)
この「エルベ特別攻撃隊」について、作戦の立案者であるハヨ*1・ヘルマン氏や(生還した)パイロットたちの証言を交えて、その実像に迫ってゆく様は、さすがに新聞記者の文章だけあって読み応えがあります。約250ページほどあったけど、昨日のお出かけを挟んで二、三日で読み切ってしまいました。
で、この本を読んでいて思ったのは、やっぱり戦争はいけない、という月並みな想いもさることながら、憎悪の連鎖はどうやって止めたら良いのだろう、という想いです。戦時中、日本は「鬼畜米英」と叫んで戦争を遂行していたわけですが、一方の米国は、「リメンバー・パールハーバー」と言って日本を蹴散らし、ついには禁断の兵器・原子爆弾を実戦で使ってしまったわけです。どちらが悪いか、って、どっちも悪いんですよね。
また、戦後の戦争責任の取り方にしても、結局ドイツはナチスが悪かったのだ、という風に責任をナチスに押しつけることによって国民を守ったのですが、そのナチスは国民から正当な手段で選ばれたわけですよね。いわば、「ナチスは悪魔の所産ではなく人間の心の闇が生み出した」(あとがきより)ものな訳です。まぁそういう形ではあるにしても一応明確な形で責任をとった訳ですね。
一方の日本は、言わば一億総懺悔で、天皇を日本国民統合の象徴として守ったわけです。みんなが悪かったし、みんなが悪くなかった、みたいな曖昧な責任の取り方だったわけです。
もっとも、もちろん悪かったのは日本だけであるはずはなく、当時の状況がそうさせたんでしょうが。ただ、蹂躙された側にすれば、いやな想いをさせられたんだから謝れ!というのは非常に理解できます。
結局は、そういう負の感情を抑えて、相手と対話し、理解し合うことから始めるのでしょうか?
また、夏(終戦記念日)が来たら読み返してみたいです。あ、図書館休館中かも知らんなぁorz

*1:ハンズ・ヨハネスの略であって、早よ!のことではないそうだ。