た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

たのしい不便

たのしい不便―大量消費社会を超える

たのしい不便―大量消費社会を超える

一昨日の第一部に続き、第二部(対話編)も読みました。
対話だから、対談者によって内容がチト難しくなるのと、対話編になるとその内容の古さがちょっと目につきましたが、全体的には興味深い対話が多かったのは一昨日と同様です。
いくつか、心に残った言葉を拾ってみます。
ユーコン漂流 (文春文庫)

ユーコン漂流 (文春文庫)

に書いてあったのそうですが、「結局(貨幣)経済とは、こうやって社会から『人間のつきあい』を奪ってゆく。」と。同感です。そういえば、昔読んだ本で、「資本主義経済の世の中が愛に乏しいのは、愛をお金に置き換えることによって経済が成り立っているからだ。」みたいな一文がありました。
あと、子供に刃物を持たせると危ない、式の発想では、結局いつまで経っても刃物は使えずじまいに終わってしまうんですね。一昨日も書きましたけど、不便は(たのしいけど)痛い(ことも多い)のです。
あと面白かったのは、電気あんか・湯たんぽ・人間湯たんぽ(添い寝)の中で子供が一番喜ぶのは、なんと言っても人間湯たんぽなんだそうです。僕は子育ての経験はないからわからないけど、そうなんだろうなぁ。(小さい頃は、湯たんぽ専門でした。それで、足に低温やけどの痕も残ってますがね。)
で、気をつけねばならないのは、不便は「たのしい」と社会との接点を絶ってゆくと、ポル・ポトやオウムになってしまう、という一節がありました。
あと、今の日本に一番欠けているのは、「遊び」の精神じゃないか、みたいなことも述べられていました。それは、言葉を換えれば、時間・空間・仲間の三つの間がなくなったからじゃないか、とも言ってました。
ただ一方で、そういった三つの間があった過去の日本は、生まれや所属する組織によって生き方に枠をはめていた部分も少なからずある、ことも忘れず指摘してました。
あと、うまいな、と思ったのは、(過去の)日本は生活大国ではなく経済大国になる道を選んだ、だからここまで豊かな暮らしが出来るようになったのだ、という指摘です。しかし、現在ではそのひずみがあちこちに出てきています*1。そこで、これからはどういう道を選ぶのか、ということは非常に大切ですね。ただ、既得権益を捨てると自分のアイデンティティが危なくなるので、急激な変化を求めるのは難しいだろう、ということでした。
他にも、興味深いキーワード(無病無痛文明論とか、共食とか)はあるんだけど、チト今日は時間がキビしいので、大体こんなところで。→12日追加で編集。
あと興味深かったのは、GNP、GDPというのが人間の豊かさを示す指標なのか、という指摘でした。例えば、スーパーで買ってきた野菜を食べるより、家庭菜園で作った野菜を食べる方が(一般には)人生は豊かになるんだけど、それだとGNP、GDPは増えないわけです。確かに、ちょっと矛盾してますよね。
このように、合理化を追求した結果非合理な世界が出来てきたという、ちょっと皮肉な状況になっている訳です。これは、昨今問題になっている派遣労働の話でも同じことです。
アレン・ゴルツの『エコロジー共同体への道』(絶版のようですorz)によれば、健康な人が40年間皆平等に必要なものだけ作って働く、と仮定すれば、週十時間程度働けば済むそうです。それなら、僕も働けるなぁ。
ま、機会があれば実際に手にとって一読されることをお勧めします。

*1:近年叫ばれる地球環境問題などもこの好例でしょう。