た-くんの狂人日記

最近はほぼ読書日記

久しぶり

また、しばらくブログを書いてへんかったわ。毎日書かんでもええとは言っても、こう何日も書かない日が続く
のもどうか、とは思うんだけど、書いてるヒマがない以上しょうがない。もちろん、ケータイ使えば場所の制約からは解放されるが、時間の制約からはどう頑張ったって逃れられない。

こういう、理屈こねる商売って、やっぱり学者さんなのかなぁ。学者以外にないもんかしら、といつも思う。

あと、最近よく思うのは、お金には、モノの価値や労働の多寡を判断するとても良い手段であるが、同時に金額によってのみにしか判断できなくなってしまう(うまく表現できないが)、ある種の危険性をはらんでいるんじゃないか、ということだ。何を言いたいか、というと、新聞とテレビとでは、テレビの方が普及率が高いだろう(正確なところは知らないけど、僕の印象)。これは、テレビ(民放)が、CMを主体とするビジネスモデルをとったことによるところが大きいのである。テレビの受信機を買うのにはそれなりのお金がかかるが、一旦買ってしまえば、あとはいくら見てもタダ、という訳である。そら、タダのものの方に惹かれるのは人間の悲しい性である。結果、テレビ文化は反映し、活字文化は衰退の一途をたどる訳である。(活字文化振興法なんてゆーもんが出来るのが、活字文化が
衰退している何よりの証拠である。)

しかし、新聞とテレビを比べた時、新聞が合ってるかテレビが合ってるかは、人によって違うのである。たとえば僕の場合、間違いなくテレビより新聞の方が肌に合ってる。

だから、もっとフリーペーパーがあれば良いんだけど。ここで言うフリーペーパーは、現在の日本にあるような、
広告主体のものでなく、もっと硬派な記事が載っているもの。そういうものは、原理的には可能だ、と北星学園大学での講義で教わった。(フリーペーパーというのは、一般の新聞で約3割?を占める、配達にかかるコストをカットすることによって、広告収入のみでの発行を可能にしているんだそうだ。)実際、海外にはそういうフリーペーパーがあるらしい。

で、今ふと思ったのは、自分には、週単位くらいで働く仕事が合っているのかもしれないな、ということ。

うーん、疲れた。今日のヘリクツはここまで。